Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

閑話休題 御器かぶり考 <まとめ&補足>

決して、病原菌を介するような虫ではないのに、また、何故これほど嫌われているのかが、不明なまま、新時代の害虫となった虫で、また、害虫呼ばわりされているのに、不思議と体が黒光りのする、けったいな気味の悪い虫である。


例えば、蝿は、糞などにたかる不衛生な虫だが、ゴキブリは、糞などには集らない、至って衛生的な虫である。だが、ハエには、にも関わらず、一茶の、やれ打つなハエが手を擦る足を擦るの有名な句がある。殺生を嫌う、仏教思想はそこまで、江戸時代には、浸透していたと言える。


では、何故、ゴキブリについてはそうした句はないのか。思うに、このどこからとも知れず、やって来ては、消え去るこの虫は、ほとんど、人々の意識に上らながったのではあるまいか。ハエや蚊の句は、掃いて捨てるほどあるが、ゴキブリの句は、とても、僅少である。風流な思いを、掻き立てない虫と言って良かろう。


害虫とは言っても、ハエのような害虫ではないし、出て来ても、餌となるような残飯のようなものがなければ、さっさと居なくなる。


昔の人は、この虫の生態について、よく知っていた、残飯を漁りはするが、体を身綺麗に保つ習性さえ持っていることも、知られていたことだろうと思う。


当時の日本人は、ゴキブリは残飯などに集るあまり害のない虫として、見つけてもそのまま見逃していたと推測できるし、また、抑も、日本は昔は、残飯などは、ほとんど出さない国であった。


他の虫より、生活圏の近い虫だったが、大して気にする必要がない、あまり悪さをしない害虫として、遇していたと考えられるのである。


だから、昔は、この虫を今のように、徹底的に駆除しようなどという発想そのものが、なかったのではないか。


つまり、物資が豊かになって来た、近代から、徐々に、目につくようになって来た虫と考えられるのである。現代は、およそ、残飯が出ない家庭など無くなってしまったと言えるし、小麦粉や米びつなどの口や蓋を、開けて置くような、だらしのない家も増えた時代である。


ゴキブリホイホイなどは、新害虫となったこの虫に対する新式の撃退法であって、今となっては、企業は、日々、新しいまた、徹底した撃退法に余念がない。ハエには、ハエ取り紙などの駆除法が、昔からある。


この虫を、目の敵にしたのは、本が好きで堪らない一部の知識人たちであった。


今でも、かなり年配の、本を読むような習慣のない女性などは、親しみを込めて、御器かぶりと呼ぶ。


いつの間にか、御器かぶりは、得体の知れないような悪さをしでかす虫として、害虫の中でも恐るべき害虫として扱われるようになった。


そうして、それだけではなく、新式の恐るべき害虫とされたこの虫は、人々には意味不明なまま、何故か、知識を持っているような人からは、極端に、毛嫌いされ、見つけたら、やっつけずにはおられない虫として、徐々に、その生態は無視され、真に根絶されねばならない虫として、その不幸な地位を確立してしまったのである。


物資の増加が、また、皮肉なことに、この虫の増殖に一役買った。


ほとんど無害と言って良い害虫なのに、皆が皆、蛇蝎のように嫌うのが、当たり前な虫として、アメリカと日本では、定着した。今では、他の国にまで、そうした扱いが浸透しつつある。


鈴木大拙という日本人の仏教者の知識人を、その筆頭に掲げなければならないが、御器かぶりにとってみれば、謂れのない仕打ちを長年に渡って、受けざるを得ず、今でも、その影響から逃れられない、ゴキブリとって見れば、不倶戴天の敵であり、また、ゴキブリは退治しなければならない害虫という常識を、知らぬ間に、作ってしまった人である。


つまり、殺生をとことん嫌う仏教者ともあろう者が、率先して、殺戮するのを常識としてしまった、哀れ極まりない虫なのである。


この鈴木大拙という人は、じつは、知っている人は、知っているのたが、欧米に仏教を広めることに尽力した、現代仏教においては、先駆者中の先駆者で、欧米で仏教と言えば、禅仏教という常識までをも作った、とても偉い人なので、この人が、こういうことを仕出かしてしまったのか、というくらいな人なのである。


事情を知っている者にとっては、本当に、やり切れないくらいの思いのする、話なのである。


この人には、とても多くの著作があり、中には仏教について、とても重要な本があり、わたしも、仏教を知る上で、非常にお世話になった人なので、こうして、この人を攻撃すること自体が悲しまずには、居られない人なのである。


わたしのこの心持ちを、分かって下さる人が、果たして、どれだけ居ることだろうか。


わたしの尊敬する、数少ない知識人の中でも、独特の位置を占める、得難いインテリゲンチャなのである。


先の記事にも書いたが、この御仁は、害虫や毒虫と言えども、大変、寛大な態度をとって、決して、殺生などをしなかった人なのである。その人が、虫の中でも、ことゴキブリを見つけると、本が大事と、血相を変えて追いかけ回し、次々と、潰していった。


そして、われわれはいつの間にか、この人の真似をして、御器かぶりをそれこそ根絶やしにしなければならない害虫と、決め込んで、正義派面をしている。一体、どちらが本当の迷惑を蒙っているのだろうか。


ともあれ、鈴木大拙ような人物でさえ、こうした根源的な矛盾を生きた。近現代とは、そのようにしか、生きられない厄介な時代なのかも知れないのである。


叩けども哀れと思え御器かぶり