山なみや四重五重に霞みけり 印象に残る絵なれど画家知らずわれは名画と思ひけれども
画家のブログ記事
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たとえば、画家は自分の描いた絵を見せて、感動なりしてもらうことが、可能だが、作曲家となると、自分の真価を発揮した音楽を聴いて貰うとなると、自身で演奏可能なような、ピアノソナタなどは措くとして、どうしても、演奏家という人種が不可欠になる。 それで、ヘタに演奏されたりでもしたら、そこで音楽は終わりであ... 続きをみる
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モーツァルトを聴くと、自分の耳はこれほど精妙に出来ていたかと、驚くことがしばしばである。 目については、そういうモーツァルトのような意味で、驚かされる画家は、あまり思い浮かばない。北斎のある画や、セザンヌの絵にハッとさせられた思いはあるが、これは、何せ、その画の実物を見ていないこともあり、また、実... 続きをみる
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セザンヌの言葉によると、ゴーギャンやゴッホは、私の絵から勝手にプチ・サンスを盗んで画業を成した画家たちで、セザンヌと親しくしていた人は、彼らのことに話が及ぶと、セザンヌは憤懣やる方ないという様子を見せていたという。 本家のセザンヌに言わせれば、そういう言い方になるのも、もっともかも知れないが、その... 続きをみる
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セザンヌが好きである。だが、セザンヌの名作と言われるものは、そのほとんどを、金持ちが持って行ってしまい、一堂に会して見ることができないものになってしまっているのが、現状である。 画集だけで、セザンヌの絵を判断するのは危険だということは、分かり切った話であるが、さて、セザンヌの本領を発揮した本物をじ... 続きをみる
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フレンホーフェルという金持ちの老画家の話です。彼は、熱っぽく絵について語り、瞬く間に一枚の見事な絵を描いてしまうような腕を持っていますが、少し風変わりなところがあります。十年来、ある絵に没頭し、それが自分でも傑作かどうか判じかねているのです。ある機会があって、思い切ってその絵を信頼している画家の仲... 続きをみる
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ゴッホは画家ですが、弟のテオや友人に宛てて、非常に多くの手紙を残していたことはあまり知られていません。しかも、その多くの手紙は、ゴッホの多くの絵と同じくらいの、またそれ以上の文学的な価値を持ったものだとなると驚きを増す人は多いことでしょう。ゴッホの絵が、誰の真似も追従も不可能な、断固たる芸術的な価... 続きをみる
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2年前に描きました。描いている中、まるで、ピカソの絵自身を模写しているような気になりました。