エッセイ 量子暗号通信
しばらく、ブログを休んでいました。失礼しました。
前に、キャッシュレス貨幣について、触れた記事で、量子コンピューターが導入されるなら、その桁外れな計算能力によって、暗号のような鍵のついた貨幣は、再び紙に戻らざるを得ないという意味のことを書いたが、テレビで、量子暗号通信なるものを報道していた。
これは、日本で開発された技術だそうで、計測しようとすると変容してしまう量子の性質を、逆手に取ったもので、もし、この技術が実用化されたなら、暗号は解読できない仕組みになるのだという。
わたしのような、ズブの素人には、こうした報道は、そのまま鵜呑みにするしかないが、そうすると、コンピューターにおける正確性は、いよいよ、信頼の置けるものになりそうな勢いである。
ところで、信とは、人間にのみ備わった形而上なるものに他ならない。コンピューターがどれほどの正確性を誇ろうとも、信じるか信じないかは、人間の側の判断による他はない。これは、どうしても動かない常識である。
わたしは、いくら時代が進もうと、この常識を堅持して動かない者でありたいと思っている。
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