エッセイ これからはインド 2 <人物というもの>
前の記事で、「これからはインド」という記事を書いたのは、インドには、この人という人物がいたからである。この人とは、他ならぬ現在の、モディ首相である。
国民総ID化というものを、やってのけて、それがじつに見事にインド経済の車輪を回している。
30年ほど前、わたしは、これからは中国だと言っていたが、やはり、この人という人物がいた。現在の中国経済の基礎を作った、鄧小平である。
天安門事件で、批判されやすいが、現在の中国の基礎固めをした人物であることは、間違いなかろう。だが、そのために現在の中国経済が内部矛盾を孕むことになったのも、その通りなのだが。
けれども、思うに、新興国であろうが、先進国であろうが、内部矛盾を孕んでいないような社会などが、あろうかとも思っている。
それで、現在のインドが成功している国民総ID化であるが、これは、言わば諸刃の剣のようなもので、インドのようにある程度成熟した民主主義国家でこそ、力を発揮する手法ではないかと、わたしは見ている。
この国民総ID化が、強権的な独裁国家の手に渡れば、自国民を際限なく締め上げる道具になりかねない。
幸いなことに、インドには、しっかりした人権派の法律家がいて、また、国家もその声をよくよく聞く耳を、持っているのだが、そうではない国では、一体どういう仕儀になってしまうであろうかと、わたしは危惧する者である。
そうして、振り返って、わが日本の経済事情であるが、岸田さんは一体どうしているのであろうか。経済オンチの人とは言われているが、外国人が日本株を買い漁って、日本経済を再び押し上げる、絶好のチャンスなのに、手を拱いているというより、ただ、傍観しているだけのように見えて仕方がない。
自分が経済音痴なら、そのことを自覚して、優秀な経済通の側近を採用すれば良いだろうに。まったく、どうしているのだろうか。これは、という経済政策がまるで出て来ない、これには、困ったものであるように思えて、仕方がないのだが。
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