エッセイ ラマダンというもの 2 <栄養過多を避ける>
前の記事で、ラマダンは健康に良いのではないか、ということを書いたのだが、これにはちゃんとした根拠があるので、そのことについて少し書いてみたい。
人間、大きく言って、人類は、大昔から飢餓と闘ってきた。日本も振り返ってみれば、天明、天保と大きな歴史から見れば、つい最近まで、大飢饉に見舞われている。
その日本は、ほんの30年前、1993年に大凶作に遭ったのだが、一人の餓死者も出さずに済んだ。文明が進んだおかげであった。
ここで、よくよく考えてみれば、文明がいくら進んでも、人間の体の構造は、それに合わせて変わるものではない。
人間には、大飢饉を乗り越えてきた記憶が、その体にしっかりと刻み込まれているのである。人間は、水と塩さえあれば、環境にも拠るが、2週間くらいは健康に支障なく生き延びることが、出来るものである。
これは、生物にとって、飢餓というものが如何に恐ろしいものであったかを、物語っている数字であろう。
それでは、逆に栄養過多は。
現代は、栄養過多の時代である。栄養過多の代表的病気である、糖尿病の恐ろしさについては、改めて言うまでもないであろう。また、ある国で、ある年齢の人たちだけが、なぜか大量に死んでしまうという事件が起こった。
よくよく調べてみると、その人たちが生まれた年は、まれに見る大豊作で、人々は存分に食い飲み、暴飲暴食に明け暮れた年だったという。そのときに、身籠もった子供たちに、その親の世代の暴飲暴食が祟ったのである。
腹八分とは言うが、けして、昔からの古ぼけた忠告ではない。われわれ現代人が、身を以て噛みしめねばならない、金言なのである。
ラマダンは、イスラームの見事な知恵なのであろう。
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