Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ モーツァルト ピアノ協奏曲27番

このモーツァルトの最後のピアノ協奏曲は、わたしは、最初に、ベームとギレリスとウィーン・フィルのLPで聞いた。吉田秀和さんが推薦していたLP盤で、吉田さんはこのLP盤の演奏を、しきりに誉めていたが、わたし自身は、27番に関しては、なぜこうも、虚無的な演奏をするのだろうかと訝ったものだった。


このような虚無的な音は、ウィーン・フィルやベルリン・フィルなどのオケで、当時、よく聴かれたものなのだが、音楽がそこで凍り付いてしまいそうなほど、ゆっくりと演奏され、その中に、過剰な散文性を感じてしまうので、虚無的なゼロを、指向する音楽となってしまう、そうした風に聞こえるのである。断って置きたいが、これは、あくまでわたし個人の聴き方である。


その当時出ていた、モーツァルトのピアノコンチェルト27番は、皆、そうした演奏ばかりで、27番は、まるで白骨美人を見せつけられているようで、嫌になったものだった。


その代わり、そのLPのB面に収録されていた、ギレリスが娘さんと一緒に収録したK365の二つのピアノための協奏曲には、惚れ込んだものである。吉田さんは、この演奏について、少ししか触れていなかったが、わたしは27番より、ずっと良い演奏だと密かに思ったものだった。


確かに、緊張感だけ取り出せば、27番の演奏の方が、緊張感が高く優秀であろうが、音楽は、何も緊張感ばかりが、物差しではない。生き生きとして、溌剌としているどうかも、ハッキリとその物差しと成り得る。


すっかり、肩の力の抜けた、K365の演奏にはそのことが、十二分に感じられるものである。


音楽の聴き方も、時代とともに、変わっていくものなのだろうかと思うところである。