エッセイ 知らざるを知らざると為せ
論語には、一見当たり前と見えて、じつに奥深い言葉がたくさんある。
「知るを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。これ知なり。」これほど当たり前なことはないが、これほど実践するのが難しい言葉もないくらいである。特に、若い人や知識の豊富な人には、守るのに難しい言葉である。
近代科学の祖、デカルトの思考の出発点は、この言葉を、至極厳密に、深刻に捕らえたところから、始まっていると言っても、牽強付会とは思えないくらい、平凡で当たり前な言葉である。デカルトの読書量は桁外れであったから、論語も読まれていたと想像しても、少しも悪くなかろう。デカルトに近代自我の芽生えを見るより、まともな見方ではなかろうか。
「学んで思はざれば即ち昏し、思って学ばざれは即ち危し」も、含蓄に富んだ言葉で、わたし自身は、およそ後者のタイプの人間なのだが、この論語の言葉に出会って以来、いつも、この言葉がわたしを制し、先ず、発言する前に、それについてはしっかりと学んだ事かどうかは、よくよく確かめずには居られなくなった。
論語は、もっと注目されていい書物である。
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