エッセイ 考えるということ
「考える人」はロダンで有名だが、わたしは「半跏思惟像」の考えている姿の方が、好きである。
ロダンの像からは、思考の力と苦悩いうものを思わせずにはいないし、それがなんらかの焦点を結ぼうともがいている様がよく感じ取られるのだが、半跏思惟像の方は、仏像ということもあって、焦点は常にピタリと合っていながら、思考は自由自在に動いて止まないというような人間離れした様を感じられる。
ちなみに、わたしは歩きながらかんがえることはできない。このご時世、そんなことをやっていたら、いつ車や自転車にひかれるか分からない。小林秀雄は、歩きながら考えることの達人だったが、時世のこともあり、やはり達人の真似は、止した方が良いようである。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。