Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 権利と義務 <民主主義>

わたしは、政治的には左派でも、しっかりしている人は認める人間である。例えば、市川房枝という人が居たが、わたしはこの人は立派な人物だったと思っている。


その市川さんは、民主主義には、権利と義務が欠かせないと、口を酸っぱくして言っていたものだった。


そうなのである。権利とか人権とかだけではなく、同時に義務もあると言うことを、これほどはっきりと言っていた人は、他に居ないくらいである。


それを、思うと今回の名古屋城の復元計画に対して、障がい者の皆さんは、確かに権利は主張するが、義務の方は、一体どうなっているのかと、わたしは訝るのである。


障がいがあることで、人権というものは、拡大するのだろうか。障碍者の皆さんににも、しっかりと義務というものがあると、わたしは思う者である。


市民の大多数の人々が、おそらくは、世界遺産になるかも知れないような、建設が始まろうとするときに、何故に、多数の人々の権利と願いを妨げるようなことをするのだろうか。


報道であらましを見ていたが、差別とは言われるが、何が差別であって、これはそのまま区別と呼ぶべきものであるのか、判然としないまま、障がい者の皆さんの「差別だ。」の大合唱で、市側は、押し切られた格好になった。


障がい者の方々は、多数の市民の権利や願いを、封殺するまでの権利を持って居られるのだろうか。そうした障がい者の方々は、一体、どのような義務を果たしたので、そのような権利を持つに至ったのだろうか。


少数派の意見こそ大事にされるべきだという、民主主義的な論は、その少数者が全体の価値に見合う、優れた意見を持っているときに適用されるものだというように、わたしは民主主義というものを理解している。それでこそ、権利と義務というものが釣り合いが取れるのではなかろうか。


「差別だ」と言われる障がい者の方々に聞きたい。皆さんは、権利を主張されるとき、どのような義務を、自らかんがえて居られるのだろうか、と。