エッセイ シェイクスピアとドストエフスキー <試論2>
シェイクスピアの諸作品は、読み易い古典である。おそらく、世界の古典の中でも、もっとも読み易い古典ではないかと思われる。
これは、日本ではもう江戸時代から、翻訳本があったこと、また、とても多くの優秀な翻訳家たちが、挙ってシェイクスピアを翻訳して、洗練されて来たこと、それと、作品自体の性格として、ことばが何の抵抗も受けず、きれいな泉が湧き上がるように、書かれていて、いわば、ある深刻さを、あまり感じさせないようなところがあるのにも、拠っているのではないかと思う。
それと比べると、ドストエフスキーの諸作品は、重く、読み辛い。また、主要な作品が、読むのに、何十時間も掛かってしまう長編である。優秀な翻訳家が多くいるのは、シェイクスピアと同じなのだが、哲学的な背景が濃厚であり、シェイクスピアがそのままの日常の感覚で読めるのに対して、ドストエフスキーになると、日常感覚とは、明らかに別種の時空間に同行しなくてはならないか、また、そこに、沈み込んでしまうような感覚に襲われると言った方が適当な、そうした、独特の世界に連れて行かれるところがある。
この辺り、シェイクスピアはあまり、読者を選ばないが、ドストエフスキーでは、はっきりと好き嫌いが分かれるところと、言って良いのではないかと思う。
<続く>
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