エッセイ きれぎれ草 106 <理性批判、国連>
純粋理性批判
理性の理性に拠る批判
理性を理性によって批判することの、正しさと難しさ
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カントの大きさ
国連が作られたのは、カントの発案に拠るものだが、今の国連の現状を見て嘆くのは、誰よりも、カント自身であることだろう
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国同士が連合するというアイデアは、とても優れたヴィジョンなのだが
どうであろうか、どの組織にも、そこで、自由闊達に動ける人がいて、組織として体を成すのであるが、国連に欠けているのは、まったく、そうした人材に他ならない
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国際人などという、根無し草の人間など要りはしない
自分自身の国の人間であるというアイディンティティをしっかり持った人でなくて、どうして、国連などで、活躍できようか
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緒方貞子を見るがいいのである
彼女の根本にあったのは、自分の国の歴史を背負っていた人間であったということに他ならない
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