Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ ある教諭の人たち

ずいぶん以前の事だが、こうした現場に立ち会ったことがあった。


小さな高校での話だが、京大出身で、湯川秀樹の研究室にいたというおばあさんの数学の教諭とか、地方の国立大学を出、名古屋大学の大学院で哲学科の修士を取ったという30前半の社会の男の教諭などがいた。


そのとき、わたしも新入りの教諭として、雇われていたのだが、その数学のおばあさん先生が、院長から聞いた金銭に関する一言に激昂して、その院長を憎み、そのときの教諭連中を、皆、自分の仲間にして、学校でひと暴れしようと目論んでいた。


先の社会の男の教諭は、一番の古参だったが、この人は、理由が不鮮明なまま、院長を嫌っていて、そのおばあさん先生の仲間の一人になっていた。


総勢10人弱の教諭連は、わたしが新しく入った時、皆、わたしを含め、そのおばあさん先生の意向に、従う雰囲気になった。


教諭間の話では、院長批判が飛び交い、何かにつけて、院長は悪者に仕立て上げられた。


新学期が始まる前で、小さな校舎には、生徒が空けた、壁の穴を直すために、工事の為の業者が入っていた。院長の弟さんが、ちょうど、個人経営の工務店を営んでいて、その弟さんの下で働いているおじいさんだった。


わたしは、じつは、彼らの院長批判には、どこか納得の行かない感じを、持っていた。彼らの批判は、当たり前な経営者なら、そう言うだろうという事に、いちいち文句を付けているに過ぎない、というように思えていた。


そして、その業者が壁を直しているその現場に、おばあさん先生が、「院長は、学校を直すのに金が掛かるとか言っているけど、あの壁を直すのにいくらかかるのか、一度、聞いて見ましょうよ。」と言い出した。


そのときは、わたしと先の社会の教諭が一緒だった。わたしたちはそこに赴いて、おばあさん先生が、その板の値段を尋ねたら、業者のおじいさんは、やや怪訝な顔をして「千円」とだけ答えた。


おばあさん先生と社会の教諭が、これを聞いて喜び勇んだと言ったら、なかった。鬼の首でも取ったように、それ見ろと、嬉しそうな顔をしてその教室から出て行った。


わたしは、本当に、呆気に取られてしまった。世間知らずにも程がある。この人たちは、手間賃というものを、まったく勘定に入れていない。弟さんが工務店をやっているからと言って、手間賃がただの訳はない。千円は、もちろん板の原価である。それよりも、手間賃の方が、ずっと高いのは、あまりにも当たり前な常識である。


じつは、わたしが、彼らの院長批判に疑念を抱き始めたのも、こんなような根拠のない話が、大半を占めていたからである。


それから、彼らは院長に抗議するというような、わたしにとっては、意味不明な書面に、勝手に、わたしの名前を連ねて、院長に渡してしまっていた。


その後の職員会議で、院長がその件を質したとき、わたしは、その書類から自分の名前を削って欲しいと、その会議の席上で言った。それを聞いていた新任の一人の女教諭は泣き出したが、わたしに続く教諭は居なかった。


それ以前からでもあるが、わたしは、学歴とか何々出というものに、益々、信用が置けなくなった。


因みに、この学校の院長は高卒で、教員免状も持っていなかった。けれども、法律上、院長や校長となるには、何の問題もないのである。先の社会の教諭は、どうも、その事が気に入らないだけのようだった。ただの高卒出の人間に、雇われているのはご免だというように。


いや、今回は、長々と下らない話をしてしまったようです。申し訳ないことでした。