エッセイ カラマーゾフの兄弟 <フョードルの思想>
カラマーゾフの兄弟のフョードルは、ドストエフスキーが描いた中でも、もっとも堕落した人間である。
自分一人で酒を飲み、酔った勢いで、息子たちと話をするだけで、この怪物は、殺しでもしない限り、善人を貶しめ、嘲笑い、辱めることを決して止めないだろうと思わせるようなものがある。
それで、表題に掲げたこの男の思想であるが、この堕落しきった男が、話のついでに、面白い持論を唱えるのである。「わしに言わせれば、この世に、みっともない女は居らん。どの女にも、必ず、取り柄というものがある。」と作者は、この男に言わせている。
日本人のわたしに、ピンと来るのは、これは、芭蕉の「万婦みな小町」と同じ思想であるという、不思議な一致である。
ただし、フョードルは自分のこの思想を証明するために、知的障害を持った女性を孕ませるという、じつに醜い行為をしたという設定には、なっているが。
堕落しきった男と俳聖とまで言われた人物とのこの奇妙な言の一致、両極端は相似通うというところであろうか。
因みに、フョードルが、人間ついて肯定的なことを言うのは、この女についての見解、一事のみである。
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