エッセイ きれぎれ草 49 <裁きという世界観>
欧米思想、また、その周辺の思想の中で、わたしがもっとも分からないと思うのは、この「裁き」の思想である。
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何故また、人間は死んだ後でさえ、裁かれる必要があるのだろうか。
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人間が、それほど罪深い存在だとするのは、キリスト教を中心とする、聖書を拠り所とする人々に共通する考えに、他ならない。
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「地球温暖化傾向」という思想は、その考えの表皮を剥がしてみれば、直ちに、聖書中の言葉に行き着く。「神への信仰に拠らない人間的営為は、破滅を導く」と。
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現代人は、不安であるというだけでは、収まらないで、欧米流に、罪深くさえあろうとしているようではないか。
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人は、事実そのものよりも、遙かに自身の抱いている世界観によって、物事というものを判断するものである。
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日本人であることの思想上の優位性。日本人は、これという世界観を持たない、めずらしい民族である。その故に、ものそのものを見ることに、長けていると言える。
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