エッセイ 色彩の働き <スーパー>
モーツァルトを聴くと、自分の耳はこれほど精妙に出来ていたかと、驚くことがしばしばである。
目については、そういうモーツァルトのような意味で、驚かされる画家は、あまり思い浮かばない。北斎のある画や、セザンヌの絵にハッとさせられた思いはあるが、これは、何せ、その画の実物を見ていないこともあり、また、実物を色々と見ようとすると、わたしの経済が、破綻することが必至なので、絵については、ほとほと困惑している。
ただ、わたしは、自分でも絵を描くくらいだから、絵はとても好きなのだが、ある画家の絵で、モーツァルトの音楽のようなことが起こらないのは、また、どうしてだろうかとも思うのである。
そうして、わたしは独り身だから、スーパーによく行くのだが、食品売り場のあの色彩のあざといまでの鮮やかさには、よく、驚かされるのである。
色彩に愛情を込める画家が、決して描かないような、色の組み合わせなので、その目を惹きつけるだけのために、考案されたと思われるような包装は、確かに、人を驚かせるには足りるのであろうが、それだけで、終わってしまっていることも事実である。
それを思うと、人をあれほどまでに驚嘆させ、同時に音楽として、途轍もなく立派な音楽を書いたモーツァルトという人は、本当に、とんでもない音楽家だったことを思わざるを得ないのである。
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