エッセイ どの日も呪われてはならない
聖書には、深刻な表現が多いが、その一つとして、
義人ヨブは、神から手酷い試みを受け、その理不尽な苦しみの最中に、「わたしの誕生日は呪われろ」と、ぎりぎりのことばを吐く。
自らの生まれた日を呪う、この表現は、深刻そのものであって、他の聖書以前のどの古典にも、見出せない恐るべき呪いの言葉と言って良い。
「どの日と言えども、呪われてはならない」
原爆が落とされた日と言えども、大空襲の日であろうと、ジェノサイドが行われた日であろうと、自分の肉親が悲劇的な死を遂げた日であっても、そう、3.11の日であろうと。
こうしたことこそ、理念的にかんがえなければならないことなのである。
禅語の「日々是好日」とは、閑人の世迷い言ではない。大きなひとつの真理なのである。
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