エッセイ 音楽は不思議な芸術 3<バッハとヘンデル2>
ヘンデルの音楽が、特に合唱などでよく見られる多声的という性質において、素晴らしいものであると、わたしはかんがえるのであるが、個としての感情を、掬いとってくれる音楽であるかどうかとなると、疑問符がつくように感じる。それこそ、プレロマン的な性質であるが、個の喜びや悲しみも、十二分に表してくれる、バッハの音楽との違いはそこに見出せるように思う。
よく、ヘンデルの音楽は遠心的で、バッハの音楽は求心的と言われるが、むしろ、ヘンデルの音楽は、感情の抽象度の高い音楽と言った方が、妥当なように思う。ただ、前にも述べたカストラートのオペラがどうかについては、その音楽自体をわたし聞いたことがないので、わたしのかんがえを、そうだと決定付けることは保留するしかないが。
ともあれ、バッハの音楽が、あれほど徹底して過去の音楽遺産に基づいたものであるにも関わらず、時代を先駆ける音楽であったことが確かならば、生前のバッハの不遇な生活と照らしてみて、音楽というものの不思議な芸術の正体が、まざまざと映じてくるような思いがするのである。
どういうことかというと、本物の音楽というものは、その同時代に受け入れられるということが、極めて困難な芸術であるという不思議な性質を、バッハという謎めいた音楽家が証しているということである。
だが、これは、そのまますべての音楽家に通用する論ではないことは、お断りして置きたいが。
<続く>
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