エッセイ 味というもの <芸術品>
この絵には味があるとか、この文章には、味わいがあるといように、ほめ言葉として、よく使われるが、われわれは、知らぬ間に重要なことを語っているようである。
意味という、みんなが分かり切って使っている言葉があるが、では、抑も意味とは何かと問われれば、そのまま黙ってしまう人が大半であろう。これは、その字義通りに取れば、「意」の味である。意は、こころとも訓ずる。つまり、意味とは心の味ということに他ならない。
よく、他の人のかいた文章なり、絵なりはその価値がよく分かるが、自分のかいたものとなると、まるでよく分からなくなるという画家や文筆家が多い。これは、無理もないことなのであって、自分のこころの味は、自分では、判定しようがないのが、本当のところである。
古典と言われてきた芸術品や文章は、このこころの味ということで、ずば抜けたものであることが、今まで、書いてきたところから推定できないだろうか。
古びないものには、いつまで経っても、色褪せない味が、あるのである。わたしは、芸術品や古典というものについては、いつもそうしたところに、注目する態度を持つ者である。
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