エッセイ きれぎれ草 97 <信ということ>
「人間は信じるものじゃない」と言う人、概ね、不徹底な功利主義者に過ぎない。
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人を信じて裏切られたから、人を信じなくなったという人は、多いものであるが、西洋でよく見られる、人間嫌いというところまで行く人は、日本では、ほとんどいないし、社会的に、よく見かけるようなタイプにもならない。
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日本民族は、不思議なほど民度が高いが、悪い人間は、また、徹底して悪い。
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人は信じられるものかという前に、まず、自分自身を信じているかどうかを問われなければならない。
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信じられる人がいないというのは、不幸なことであるが、そのことを、徹底してかんがえる人は、少ないものである。
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多くの人は、自分で考えている以上に、迷信家なものである。大概の現代人は、日々、信不信の間を、揺れ動いて止まない。
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不信というのは、現代的で、信というのは、前近代的だという根強い偏見がある。
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「人生に意味などない」と言う人。抑も、自分の人生というものを、信じているのだろうか。
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迷惑な人。勝手に信じているふりをし、自分の気に入らなくなったから、もう信じなくなったという人。信じる力に欠ける人。
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厚かましい人。「俺さえ信じておけば、間違いない。」西洋風に、俗な自我確立をした人。
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ともかくも、信というまことに単純極まる徳が、現代では、複雑極まりないものにまつりあげられてしまっている。
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