エッセイ 踊りというもの <日本人と踊り>
日本人は踊らない。
特に、社会的な地位が高くなればなるほど、踊らない。ユングによれば、踊りは、満たされなかった性衝動の、代償行動であるという。
外国人に言わせると、日本人は全くもって、踊りが下手であるそうで、こう書いている自分自身にしてからが、踊りはまるで、苦手で下手である。
ウィンナワルツは有名だが、性が忌避されていた、ヨハン・シュトラウスの当時、皆が皆、踊りに熱中して、あるときには、深夜過ぎまで踊り明かしたそうである。これは、ユングの説を裏付けているような、出来事である。
それで、日本人の踊りの下手さ加減であるが、抑も、ある特定の人しか、踊りには、関わらない国民性を持っていて、踊ることを恥ずかしいとさえ思っているような、節さえある。
ゲーテを読んでいたときに、社会的に通用する素養として、ある程度、踊れるようになるために、ダンスの先生に踊りを習うことが記してあって、ほおと、思ったものだった。国民性に違いというものなのかなと思った。
それで、これは私見で申し訳ないが、昔から日本には、音楽で旋律楽器に当たるような楽器がない。唯一、それに相当する笛さえ、わざわざ、音を破裂させるような作りになっている。雅楽は、あれは中国伝来の音楽で、日本独自のものではない。
それを、思うと、日本人に踊りが浸透しないことと、旋律楽器がないことには、何かの、関係があるのではないかと思ったりする。無論、証拠はないから、これは、わたしの勝手な見解に過ぎないが。
音楽の重要要素として、旋律を挙げるのは常識であるが、日本では、通用しない常識のように、わたしなどには、思えるのである。
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