Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 労働ということ <死の家の記録>

ドストエフスキーの「死の家の記録」の中で、廃船解体を命じられる囚人たちの話がある。鮮やかな印象を残す場面で、最初に読んだときにも、よく記憶に残った。


アランも「幸福論」の中で、言及しているが、囚人たちに課せられたのは、どこにでも山のようにある、一文の得にもならない廃材を、廃船を解体して積み上げることである。


作業に当たった囚人たちは、まったくやる気がなく、のろまで、愚鈍で、作者に扮したゴリャンチコフという主人公が見ていても、腹立たしいほどだったと書いてある。


このとき、その囚人たちの代表が、ノルマをくださいと言うのである。最初は聞き入れなかった看守も、それでは、廃船を解体した後、30分の休憩をノルマとしてやろうと言った途端、囚人たちは活発で、器用で、生き生きと動くようになる。最初の作業では、折ってしまった廃船の竜骨も、きれいに力を合わせて引き抜いている。


アランも注意しているが、休憩とは言ってもやはり監獄内の休憩である。自由になれるわけではない。だが、この囚人たちのこの変貌ぶりは、たしかに囚人たちに、その労働に見合ったノルマを与えたからに他ならない。


わたしはこの小説を読んだとき、ノルマの本来の意味を知りたくて、辞書を引いたのだが、「ノルマ」そのものがロシア語だったので、当惑した思い出がある。それで、語源はノーマル、ノルマル<標準>から来ているのだろうと推測した。


この労働に対する標準の代償として与えられたのは、30分の休憩に過ぎない。そして、囚人たちはその労働は一文にもならない廃材を作ることだということをよく知っているのである。剰余価値などという価値概念が入る余地もない。にもかかわらず、彼らは、労働本来の生きた姿を見せてくれる。


ここには、資本主義経済が見習うに値する労働の本来の姿がある。もちろん、ドストエフスキーの時代は、ロシアが共産化する以前の話である。