佳句は一生に一句あれば十分です
わたしは、高浜虚子のこの言葉が好きである。
歴史を見てみると、喜撰法師という人がいる。この人は六歌仙の一人に選ばれるくらいの歌人なのに、残っている歌は、百人一首で有名な一首しかない。どういう人だったかも、さっぱり分からない。
分かっているのは、都の東南に庵を構えていた法師だということくらいで、それもその残された歌からの推測である。
ちなみに歌を引いてみよう。
「わが庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり」
都のたつみというほどだから、都の東北にある比叡山は念頭にあったであろう。比叡山は、京を禍いから守るといって気張っているが、わたしは東南で自足して行い澄ましていますよというくらいの意味だろうとわたしは思っている。
歌の明るい調子は、喜撰法師の名前にふさわしい。
近代では、安西冬衛という人がいる。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」知られているのは、この詩句一つだけであり、またそれだけで、十分という趣きである
可憐な蝶と、峨々たる韃靼海峡という語句の取り合わせが、ある衝撃を以て胸に迫る。
また、山川丙三郎という人がいる。この人は岩波文庫から出ている「神曲」の文語文の翻訳者であるが、この「神曲」とあと「新生」があるそうだが、その二つの立派な本だけを残して世を去った人である。どういう人であったかもまるで分からないそうである。
日本には、ずいぶんと不思議な人がいるものである。
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