Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 自分病 <常識というもの>

現代、よく「自分を表現しろ」とか「自分を出せ」とか、盛んに言われるが、わたしは、少し、薄気味の悪いというか、ある意味でどうかしている風潮のように感じている。


当たり前なことを、言わせてもらえれば、自分などというものは、そもそも、取り立てて言うに足りないものであるのは、動かぬ常識と言っていいものだろう。


パスカルは、自分のことを言わずには居られないのは、ありがちな病気であると、言っているが、現代、むしろ積極的に、自分を出そうとする、このはびこって止まない病気に、名前を付けるとしたら、「自分病」くらいが、一番、適当なことばのように思える。


これは、少し間違えれば、間違えるというのは、単に、私心に過ぎないものを、私そのものと取り違えるという意味だが、深層心理学で言う、自我インフレーションを引き起こしかねない、怖い病気である。


これに対抗するものとして、もっとも強力なものは、やはり、常識ということばであろう。古来、この言葉は「中庸」の名で呼ばれていたが、中庸は、ずいぶん古めかしくなり過ぎてしまった言葉で、現在、元気に生きていないし、常識というのが、最も穏当で、しっかりと現代社会に根を下ろしていることばのように思える。


この言葉は、「コモン・センス」の訳語で、明治期以来の新語であるが、どうやら、健全な発育を遂げてくれたようである。


もちろん、すべてとは行かないが、「それこそ、常識ではないか。」という一言で、紛糾していた議論も止むということが、しばしばである。そうしたことを、わたしは、何度か目撃したり、また、経験したことがある。


こういう言葉は、そう、ざらにはないので、日本人の常識感の健全性を示すものと、言って良いものであろうと思っている。