Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 中国 <そのお国柄>

中国は、あれだけの大国でありながら、つい最近まで、他国を支配したり植民地化したりした歴史がない、不思議な国である。


わたしは、万里の長城が中国のお国柄というものを、象徴的に表しているものとかんがえている者だが、あれは教科書などで、北方蛮族に対する備えなどとしているが、わたしは、この常識をうたがう者でもある。


北方蛮族に対するのなら、あれだけの大国が、武力を以て、その国へ乗り込んで行って制しないのは、どう見ても、世界の常識からしても反するし、あの万里の長城を築き上げるための、気が遠くなるような営々たる努力を思うと、中国という国が如何に儒と礼儀というものにこだわった大国なのかが、知られるように思うのだが、どうであろうか。


つまり、われわれは、君達のような蛮族とは、長城の扉で貿易をしてもよいが、それ以上の関係を持とうとは、まるで思わない。君達は君達でよろしくやるが良かろう。われわれはここに国としての線を引く。われわれはわれわれ自身の力で、理想的な国家を築き上げる。君達が居てはとても無理だから、入ってきてくれるなと。


およそ、国は、どのような国であろうと、先ずは、領土拡大を目指して巨大化する道を選ぶものであるが、中国は、まったくそれに逆行する。日本で、縮み指向とは言うが、それを最初に、国家的に行った国は、中国に他ならないとわたしは見ている。


ただ、如何せん、現在の共産化した中国は、礼儀という徳目を忘れ去ったもののようである。他国の支配や植民地化の歴史のない国というのは、それを、イデオロギーとやらに則ってやってしまうと、強権のみの、じつに、拙速な幼稚なやり方になってしまうようで、今のチベットや内モンゴルに対する対処の有り様は、中国ともあろう大国がなんたる様であろうかと、見ていて呆気に取られてしまうようなところがある。


現代の中国人は、昼は儒教的に振る舞い、夜は老荘的に振る舞うという。そうして、国家となると共産主義的あるいは社会主義的に振る舞う、また、振る舞おうとする。


ここに見られる歪みは、国の安泰のままに修整するには、余程の王権としての腕力とそれこそ徳目としての義礼智を必要とするものだろうと思う。日本との国交正常化の秋については、中国は「怨みに報ゆるに徳を以てす」と老子のことばを引き合いに出して、大国としての大度を示し得た。


だが、現在の、チベットまた内モンゴル、もしくは南沙諸島、尖閣諸島についてはどうであろうか。


わたしは、中国の大国としての先行きを、懸念する者である。