Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 徳という力

「知は力なり」とは、イギリスの哲学者ベーコンのことばであるが、儒教でも、「知」を徳として五徳の中に入れている。


西洋と東洋では、知というものの捉え方がまるで違っていると言って良いが、そうした大きな話は、置くことにして、大まかに、東洋では知恵を主眼とした「知」で、西洋では理論を主とする「知」と取って、大きな間違いはなかろうかと思う。


東洋思想の知は「仁義礼知信」揃っての「知」であることを強く感じるが、西洋哲学、特に近代以降の書物を読むと、知が過剰なまでに重視されている感を否めない。ベルクソンが嘆いたように、実在論と観念論の間で、人間自身はどこに行ってしまったのかと思わざるを得ないようなものがある。


けれども、そういうことがあるにしても、「知は力である」というのは、一つの真実として受け入れて良いように思う。


わたしは、それを敷衍して、徳そのものが力であるとかんがえて良いように思えるのである。儒教は、先に述べた五徳、または、孝悌忠の三徳を加えて、もっとも重んずべき徳とするが、もちろんこれ以外の徳がないわけではない。儒教で掲げる五徳もしくは八徳は、世情や人情に適った、実際の社会生活の中で、実践されることを前提として、選び抜かれている徳である。


知が力であるなら、他の徳も力でない訳はなかろう。知だけに焦点を絞るのは、近代風の偏った見方に過ぎないと思う。「徳は力」そう言って少しも差し支えないように思われる。


※ある人に拠っては、五徳だの儒教の「徳」などと、なんという古臭いことを言う男だと、思われる御仁もおられるかも知れないが、わたしは古臭い男で充分だと思っているので、構わず書いている。


人は何事にも、新しさを求めたがるものである。だから、「理念」とかいう、徳とも理論ともつかぬ新語を抱えて、世界をどうしようとか日本をどうしようとか、大きな話ばかりして、空転している。わたしはそういうような話には、もう、うんざりである。


付け加えて置くと、徳に、新しい徳などというものはあり得ない。


もう一つ、付け加えなければならないが、わたしのような徳に欠ける男がこういうことを言っても、説得力がないということは、重々、承知はしているのだが。