Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 秦の始皇帝 <兵馬俑>

権力が一点に集中するとき、どんなものが出来上がるのか見本のようなものである。


今になって人々が嘆賞しているが、当時の人々は、ああいうものを作り上げるために、どれほど苛酷な労働を強いられたかを想像してみる人がいないのは、わたしには意外に思えてならない。


兵馬俑の壮観よりも、この俑が歴史の文献から完全に抹殺されていたことの方が大事である。心ある知識人たちは思ったことであろう。今度、こういうバカな皇帝が現れて、また同じようなものを作り、再び、民に塗炭の苦しみを味わせてはならないと。この歴史上の文献から完璧に削除されたということが、その苛政のいかに凄まじかったかを雄弁に語っている。


日本は、国家がしなければならないようなことが、民間からはじまるという不思議な国柄を持っているのだが、中国、朝鮮等の東洋はほとんどトップダウンである。


聖人の治世の記憶が、まだ、残っていたであろう当時、それを、始皇帝は充分に利用したことであろう。


現代、始皇帝のような男が出現したとしても、権力がその男一点に集中する恐れがなくなったときに、兵馬俑が発見されたことも意味のあることである。


朝鮮では、ハングル文字を民に与えた世宗をはじめとして、英邁な君主が並び立った。北朝鮮があの政治体制を維持できているというのも、やはり、トップダウンのお国柄がものを言っていると思っている。韓国のK-POPにしても、あれは国家事業に他ならない。


英邁な君主が、トップに立つというのは慶賀なことには違いないが、何事にも反動というものはあるようである。


それにしても、わが日本は、トップダウンでなくとも、時に、見事な革新をやってのけている。戦国時代から江戸時代にかけて、また、明治維新にしても。思えば、稀な国である。