エッセイ 日本仏教 <雑感>
女→論→教え→信仰 という日本仏教の流れ。
記録されている限り、日本の最初の出家者は女であった。このことは、日本人の仏教に対する態度として、多くのことを示唆している。
伝教大師は、当時の仏教が論であることを嘆いて、中国に渡り、教えを伝えた。その後の鎌倉六祖である。
この流れは、何を示唆しているであろうか。
法然上人と親鸞上人を一人格と見る鈴木大拙の直観。これは卓見のように思える。鈴木大拙の他の言はあまり感心しないが。
親鸞上人の六角堂の夢告によって、信仰は再び、元の女に戻るように思えてくる。
閑話休題
徒然草の仏教についての一番の特徴は、仏教が基礎から崩れそうになるまで論を進めて、その崩壊の寸前のところで食い止めているところである。
「その身につきて身を破るもの数知れずあり。家にねずみあり、国に賊あり、・・・僧に法あり。」これは、仏者の思想ではない。隠者、横町の隠居の思想である。
兼好はずいぶん女にもてたそうである。
念仏と題目、天台では両者はひとつのものであるが。
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