Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 侵襲ということば <医学用語>

手術などをするとき、体にメスなどで、傷を付けなけばならないことを、侵襲<しんしゅう>という。また、そうした傷が、やむなく、深かったり広かったりしたりすると、侵襲性が高いという言い方をしたりするそうである。


であるから、昨今では、手術で、患部を開口<これはこの用語で合っているかしらん>する場合は、できるだけ、侵襲性を低くするように、傷は、なるべく深く広くならないようにするそうで、血液もなるたけ、流血しないようにするそうである。


それで、このことを書こうと思い立ったのは、心理学の本を読んでいると、箱庭療法とか行動療法とか、切り絵療法とか、療法は様々だが、もっとも、心の傷が深く残るのは、じつは、われわれが普段何気なく使っている、ことば、そのものに拠ると、言われているのである。


つまり、心理学では、言葉による療法がもっとも侵襲性が高いのである。一度、自分を振り返ってみても、分かると思うのだが、昔、またはあるとき、あいつ、あいつら、または、あの人から、こういうことを言われたという、その言葉には、その人独特の意味が付与されるもので、例えば、これはわたしが知っている人だが、この人は、ある国立大学の大学院を卒業していたのだが、「バカ」という言葉にだけは、極端に敏感に反応する性格を持っていた。そうしたことばは、ほぼ一生、その人に付き纏い続け、薄気味の悪い言い方になってしまうが、背後霊のような作用をするものである。良きにつけ悪しきにつけ、ではあるが。


その「バカ」ということばに反応する人については、見ていると、分かり易すぎるくらい正直に反応していたものだったが、これは、ほぼ、誰でも身に覚えのあることなので、その人の、言わば、コンプレックスと分かち難く結びついているものなのである。


わたし自身も、もちろん、そうした言葉に悩まされることは、あるのだが、我ながら不思議に思うのは、まるで、自分自身の核心に触れないような言葉が、わたしの場合、じつは、そうした言葉なのである。本当は、少しは、核心に当たっているのかもしれないが、わたし本人からすると、わたしにはまず向けられないような言葉が、そうであるという、少しばかり変わったコンプレックスなのである。


もちろん、コンプレックスのことであるから、ここで、自分のそれを披露しようなどというような、バカなことは致しませんが。