Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 魂は死なず <ウズベキスタン/ナヴォイ劇場>

政治的な理由で、埋もれていた歴史が、最近になって、ようやく日の目を見るようになってきた。上掲のウズベキスタンのナヴォイ劇場建設の件も、そのひとつである。


太平洋戦争後、日本軍の多くの部隊は、ロシア兵に拘束されシベリア抑留になったのは、知られている。その兵士たちは、シベリアだけではなく、ウズベキスタンのようにソ連邦に併合された国へも、抑留されていたのであるが、その捕虜となった日本の兵士たちは、その地で、じつに驚嘆すべきことをやってのけていたのである。


南京虫に悩まされて止まない寝床、安全上の保障もない作業場、捕虜としての差別、建設のための十分な資材や食料さえ、提供しようとしないロシア兵、こうした劣悪極まりない環境の中で、元日本兵は粘り強く仕事を続け、ソ連邦(今のロシア)が、世界に誇るナヴォイ劇場を作った。仕事のさなか、死者は10数名を数え、南京虫については、あまりにも刺されたために、免疫が出来てしまったという。


だが、日本人が関わったのは、最後の仕上げの部分だけだったというフェイクニュースが流布され、また、長らく、そう信じ込まれて来たのであった。敗戦を経験した日本兵に、そんな仕事ができる訳がないと。


だが、本当の証言は、当のウズベキスタンの国民から上げられた。基礎部分は確かにソ連が建設したが、それを再整備し、最後まで仕上げたのは、元日本兵だったと。


1966年にウズベキスタンを大地震が襲い、78,000棟にも及ぶ、国内のほとんどの建物が倒壊した。その中で、ナヴォイ劇場は、無傷で建っていたのである。ウズベキスタンの人々は、地震が起こる度に日本人が作った建物に逃げ込めと、口々に叫ぶそうである。実際、日本人が、敗戦後に建てた建築物は、ナヴォイ劇場を始め、ほとんど倒壊せず、今も現役で使えるそうである。


敗戦後の日本の奇跡的な復興を思うと、その下地はすでにここにあったと、言って良いようである。


そうして、ウズベキスタンには、今も語り継がれている、逸話がある。元日本兵の仕事ぶりを見ていたウズベキスタンの人々は、あまりにも貧相な食事を見かね、仕事に従事している彼らに、子供たちに運ばせて、食事を提供した。元日本兵たちは、お返しにのお礼に、木材で子供用の玩具を作り、それを子供たちにプレゼントしたという。魂は、まったく死んでいなかったのである。


ウズベキスタンやその周辺の国々には、今も、日本人のような立派な大人になれという、言い方があるそうである。


最近、わたしは、これほど、感銘を受けた話は聞いたことがない。もっと、近現代の歴史は見直されて、しかるべきだろうと思う。