エッセイ 大江健三郎さんのこと <逝去されて2ヶ月>
わたしが、大江健三郎さんのことを知ったのは、小林秀雄の著作を通じてであった。小林秀雄は、晩年、大江健三郎さんについて、少し書いた文章がある。それで、この人に興味を持った。
浪人時代は、大江健三郎の暗さが、ちょうどよくそのときの心境にマッチしたこともあって、就寝前に、彼の短編小説を読んでから、寝るのが習いだったものだった。
それで、この人についての記憶は、かなりハッキリしていて、大学2年生までは付いていったのだが、その後は、ほとんど読まなくなった。
理由は、色々とあったが、もっとも大きなものは、二度読む気にならない文章だったのが、一番大きい。わたしは、大江健三郎さんの愛読者という人を、ほとんど知らないのだが、おそらく、大江健三郎が好きで読んでいるという人でも、その代表的な本を、二、三度しか読んでいないだろうと推測している。
このことが、大江健三郎さんの大きな弱点だろうと、思っている。
この人の本は、亡くなる以前から、書店にはほとんど並ばなくなったし、ノーベル賞を受賞したということも、ほとんどの人が知らないでいる。何とも言えないようなところがある作家だった。
先の小林秀雄のことだが、じつは、本居宣長の立派な書状を、大江健三郎さんは小林から、譲ってもらっているのだが、この書状を、彼はどうしただろうか。最近の著作を、まるで読んでいないから、どうしたか分からないが、彼について、わたしが一番、気に掛かっているのは、じつは、このことなのである。
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