Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ チャットAIについて <危惧というもの>

チャットAIの生みの親と言われている人が、Googleを辞めたということで、話題になっている。


確かに、この技術は、社会にかなりの変革をもたらすであろうことは、誰でも、想像できるところだろう。ただ、その変革が、では、じっさい具体的にどのようなものになるのかということまでは、まだまだ、未知のままである。


よくよく、かんがえてみたいのだが、実際によく使われるAI技術は、われわれが通常使っているサイトを学習して、発展することになっている。


このネット環境というものは、初期の頃は、99%がジャンク<クズ>サイトと言われていたものであるし、また、まったくその通りのものであった。


現在でも、ジャンクサイトやフェイクニュースの数は夥しいのは間違いない。それで、そのチャットAIを生み出した人は、何が真偽か分からなくなるというが、はて。


その真偽というものを、わたしは、至極疑問に思う者なのだが。果たして、この世の中で、はっきりとこれは真で、これは偽だと、断じられるものがあるのだろうかと。


特に、皆に、重要な政治の世界でさえ、昔から、フェイクニュースだらけである。日本のような政権が安定している国でも、まったくそうなので、例えば、東京裁判にしても、韓国や中国との歴史問題、東アジアでの日本軍の酷評など、言い出せば、きりがないくらいだが。日本人自身でさえ、そうしたフェイクな話に、つい最近まで、コロリとやられていたのである。


そのために、政治的に重要と思われる場面で、いかに日本が不利な立場に立たされて来たかは、驚くべきものがある。それでも、この通り、日本はやってきたのである。


真偽を見抜くのはAIではない。あくまで、人間の目である。


また、危険物が、容易く作れるということについては、最近の元安倍首相や岸田総理の襲撃事件を見ても、分かる通り、すでに今のネット環境自体に、規制が必要なくらいである。


それで、真偽という問題は、それとして、文章や画像の加工された模倣が、はびこってしまうという問題だが、絵に関しては、すでに、写真がある。これは、そもそもが魔術的な技術で、写真自体にしてからが、作業としては、ボタンを押すというだけなのである。今では、シャッターを切ったその人に著作権というものがあるとされているが。


それで、チャットAIについても、質問者がどのようにすぐれた質問をし、チャットAIから、見るべき文章や画像を引き出したか、また、この場合、その文章や画像は、どこから、主として引用されたかが、明らかとされるようなことが、問題となるように思える。


チャットAIは、原爆と同じくらいの、社会に与えるインパクトのある技術と言われる。確かに、規制はどうしても必要な技術だとは、思うが、果たして、本当に、開発者が言うとおりの忌むべき技術なのかどうか、わたしは疑問に思う者である。