エッセイ ひねくれ者のこと <ドストエフスキー>
先の記事で、自分の兄がひねくれていた事を書いたが、ドストエフスキー自身が、また、たいへんなひねくれ者で、底意地の悪い人間だったことを、付け加えておかなければ、嘘になるだろう。
兄は読んでいないが、罪と罰のラスコーリニコフも、悪霊のスタヴローギンも、そしてカラマーゾフのイヴァンも、見掛けはなるほど、さっそうと描かれてはいるが、どれも、人間存在を憎んで止まない、否定のたましいであって、人間世界そのものの中に、放り出されると、しようもなくひねくれた、悪魔的な尻尾を出さざるを得ない、人間たちなのである。
ラスコーリニコフはそのまま殺人を犯してしまうのだし、スタヴローギンはさんざん悪事を犯した後に、善も悪もないこうこつとした思想に酔い痴れ、その後、虚しく自殺し、イヴァンは無意識の中に、父殺しの計略に乗ってしまい、発狂する。
じつは、わたしのその次兄も、自らを社会の中に繋ぎ止めるために、人生上、決定的な行動を迫られることになる。因みに、次兄のお気に入りの登場人物は(兄はカラマーゾフしか読んでいないから)イヴァンとなるが、この人生上の力学は、わたしは自分自身も含めて、傍でも経験した者として、じつに、背筋がぞっとするようなものがあるのである。
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