エッセイ シンクロニシティ <えにしとゆかり>
シンクロニシティは共時性とも同時性とも訳されるが、ユングの使う意味では、「因果的に説明はできないが、意味のある偶然の一致」と、している。
これは、ごく素直に日本語に訳せば、「縁」である。「縁起律」は仏教用語で、だから、これは外国から来た言葉だと思っている人が多くいるが、元々、日本には、和語の「えにし」や「ゆかり」があることを忘れてはいけないだろう。
欧米圏で、この縁にに当たる言葉はない。だから、シンクロニシティという言葉を持ち出してきたので、はやく言えば、苦し紛れのことばなのである。
深層心理学で、この言葉をご大層に使っている本を、よく散見するが、日本語で「縁」と言えば良いのにと、なんとペダンチックなことかと、うんざりしてしまう。
そうである。前掲のユングの説明的過ぎることばを持ち出さなくても、少しも構わないことばなのである。
そう言えば、深層心理学には、「エス」と言い、「エゴ」や「ゼルブスト」やらといい大げさなことばが多すぎる。河合隼雄さんが書いていたが、『「エゴはエスの侵入を受けた。」とは、大阪弁で言えば、「あてはそれにやられましてん。」である。』と。
衒学的ということばが、すでに、ペダンチックだが、学を衒(てら)うとは、嫌なものである。
序でに書いておきたいが、実験心理学の領域で、面白い実験がある。エサの前に、低い衝立を置き、鶏を放すと、エサを見て、鶏は一直線に行こうとするものだから、衝立に邪魔されてエサにありつけず、ずっと衝立にぶつかり続けるのだ、そうである。
それで、それと同じ事を犬にすると、犬は衝立を避けて、回り道をしてエサにありつくのだそうである。
これは、地球規模でかんがえてもそうなので、日本からアメリカに行こうと思ったら、一直線では決して行けず、地球の円周に従って円を描くように行くのが、一番効率的で早い。一直線なら、地球内のマントルにぶつかってしまう。
やはり、「急がば回れ」なのである。
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