エッセイ 詩、俳句、短歌などのこと
最近は、俳句のことばかり書いているようですが、詩も作ってはいるんです。
ただ、わたしは、詩作の場合は、かなり時間をかけねばならず、何度も何度も、推敲するのが、当たり前になっていて、その合間にすると言っては何ですが、句作の方は、出来たらほとんど推敲しません。
何も、俳句を軽んじているわけではなく、これ以上、推敲できないなと思うからです。かといって.、自分の俳句が優れているとは、まるで、思っていませんが。
前の記事で、推敲に三十年ではなく「添削」という言葉を使ったのは、その詩を初めて書いたときの自分とは、今では、精神状態から何から、まるで違うと思ったからで、他の意図はありません。
わたしは、自分で作る詩や俳句や短歌など、他もろもろ、どれが良くて、どれが悪いのか、少しは見当をつけてはいるんですが、正直なところ、あまりよく分かりません。
こういう句や短歌が、自分では、いいのではないかと勝手に思っています。
この空の安らかなるを初日の出
俳諧をたとえば雪の降る日かな <初出>
秋の夜たとえば耳を切るゴッホ
燕の子横一列に顔並べ
動くとも見えでうつろう春霞 (この句は「霞かな」にしようか、迷いました。)
行く秋やアコーディオンの鳴る町に
短歌では
夏座敷縁側下りる猫の子や耳をそばだて秋の音を聞く
秋の夜落葉散り敷き鳴る風のその澄み渡る湖上の月影 <若干改作>
さて、どんなものでしょうか。
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