エッセイ 筆まかせ <PCキーボードのこと>
エッセイは、日本語では随筆で、筆にまかせて書き連ねるということで、まことに自由な文章形式であって、そもそも形式とは、呼べないような文章表現であるようだ。
因みに、英語のEssayには、そうした日本語のような、気楽な意味はないようで、「小さな評論、あるいは小論」、フランス語では、「試論」という意味合いが強い言葉だそうで、これは、うっかり、和製英語のエッセイを、英語やフランス語の文脈で使ってしまったら、意味が全然違ってしまう代表的な言葉のようである。
それはともかく、ブログでエッセイを書くときは皆さんもそうであろうが、わたしは、PCのときはキーボードでローマ字入力をして、スマホに書く場合は、あの表示は何と言うのだろうか、「あかさたな・・・表記」の入力画面を使っている。
それで、よく思うのだが、いや、これはわたしがまだごく若い頃から思っているのだが、何故、PCのキーボードは未だに、不合理なアルファベット文字の並び、またかな文字の並びになっているのだろうか?
PCを使わず、スマホだけという人は、多いようだが、その使わない大半の人は、このPCのアルファベットの不合理な配列を覚えるのが嫌で、PC離れしていることを、何故、メーカーは気付かないのだろうかと思う。
世界一般の標準なのは、分かっているが、覚えるのが嫌だという人に、わたしはどれだけ会ってきたか知れない。そういう人は、まず、覚えるのは嫌だとは言わないのである。少し突っ込んで訊かないと分からない事なのである。
日本人は、世界標準というものに弱いので、これを、あからさまに言うことを避けるのである。
わたしは、逆に、声を大にして、言いたい。文章をPCのキーボードで打とうとするとき、どれほど、わたしは、ミスタッチをしているか分からないくらいである。そうである。未だに、わたし自身、この配列に慣れておらず、このことは、一般の人も変わらない現象なのである。
これは、じつは、当たり前なことなので、このキーボードの配列は、わざと欧米圏の人々にさえ、打ちにくく作られた、タイプライターを基準にしているからである。
わたしは、何度言ってきたか知れない。もういい加減、この不合理極まりない配列を、どうにかしようではないか。
なぜ、PCのキーボードだけ両手打ちなのか、訳が分からない。片手だけしか打てない人にとっては、人権侵害もいいところである。
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