エッセイ 全法制化傾向 <法治国家>
メディアでは、よく、コメンテーターという新種の職業人、多くは法曹界で仕事をしていた人々が、日本は法治国家だから、あらゆることを法制化すべきだというような、論を成しているのを、見かける。
俗な世人たちは、また、それに乗っかって、同じような言い分を、自分の意見として騒ぎ立てている。
よく、考えて欲しい。
アメリカのように、国家の成立基盤が、法律しかない国は、ともかく、あらゆることを法制化しようとすることに、どんな意義が、あるというのか。
最近では、法律の厳罰化傾向により、如何に、ひき逃げ事件が頻発していることか。厳罰化すれば、世間は、まともになると本気で思っているところが、浅はか極まりないことである。と言って、一度、引き上げたものを下げるわけにはいかないと、どうにもならぬ、為体となっている。
国葬を法制化せよという、わたしは断言して憚らないが、そんな法制化された、心の籠もらない国葬に、どれだけの参列者や、また、まことの追悼の意が得られるというのだろうか。
いつから、法がすべての世の中になったのか。金がすべての世の中の方が、まだ、ましなくらいであろう。
世の中は、ある傾向が、常に行き過ぎるものである、その傾向を矯めるのが、我々の持っている常識にほかならないのである。
法律よりも、健全な常識を、わたしは願って止まないものである。
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