Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 「やあやあ、我こそは」考 <戦争というもの>

源平合戦の頃、自ら、名乗りを上げてから、戦闘をしていたということは、有名であるが、こうした合戦の仕方を、幼稚だとか、全く、ナンセンスな戦い方をしていたものだと、現在の戦争の基準から考えて、批判するのは、容易い。


では、なぜ、その当時の日本人は、そうした戦い方をしたのか、また、せざるを得なかったのかと、正面からかんがえる人が、まるでいないのは、また、どうした訳かとわたし自身訝るのである。


よくよく、その当時の合戦の様子を、かんがえて見たい。戦場は彼らにとって、どのようなものであったか。武勇に秀でた者も、また、そうでない者も、いたであろうが、先ず、言えることは、戦場は、そこから逃げも隠れも出来ない、衆目監視の中での、戦闘であったということである。


闘う者達は、戦う前から、あの男は前の戦闘では、戦い振りはどうであったか、また、あの男は、どこの誰それの子で、どのような生い立ちかとか、すべて、承知の上で戦っていた。戦う前から、情報は、筒抜けだったと言って良い。


卑怯なことをすれば、それは、そのまま、その男への恥として、帰って来たのであり、名乗りを上げるという風習は、この、人の目に晒され続ける戦場の本質的な在り方から、由来するのであって、決して、功名ばかりが目的ではない。


では、現今の戦争を省みて、どうであろうか。スマホが、これほど爆発的に行き渡った現在、戦場の最中でも、人目に晒されるという意識が、どうしても育たざるを得まい。卑怯で、残忍な振る舞いをしたのは誰か、ピンポイントで分かるということになれば、戦闘の仕方は、今後、どうなるであろうか。


そのようにかんがえて見れば、日本の源平合戦の頃の戦い方は、むしろ、最先端の戦闘方法として、見直される時が、来るかも知れないと空想してはいけないか。


ただ、ほぼ同時期に、成立した鎌倉幕府が、成立した途端、まるで、暗殺と陰謀の本部のような様相を呈するのは、また、何故なのか。他でもない、情報の隠蔽が可能だったからである。


このことと、現在、隆盛となっているフェイクニュースとを、どう見れば良いか。


われわれは、余程、しっかりした目を持っていなければならない、ということになるであろうか。