エッセイ きれぎれ草 96 <戦争、写真>
ウクライナ大統領
世界を巻き込む必要がどこにあるか
○
フランシスコ・ローマ法王
「焼き場に立つ少年」の写真
いったい、この人は、この写真を持ち出して、何が、言いたかったのだろうか。はっきりと感じられるのは、少年の持つ確固とした精神の力強さである。
おそらくは、死んだ弟の亡骸を背負い、泣きもせずに、しっかりとした姿勢で、弟が焼かれる順番を待っている、立派な少年の姿である。
これを撮った人も、その姿に心を打たれて、シャッターを切ったに相違ない、写真である。
この法王は、その姿のありのままの価値を、受け取らずに、反転したがっている。いかにも、西洋人らしい、美の論理を用い、
「きれいは汚い。汚いはきれい。」
マクベス劇で魔女が、歌う文句が、この法王の口から、漏れて来るようである。
およそ、先の大戦中、日本以外の、どこの国のどこの地で、これほどの精神の輝きを持った少年の姿が、あったであろうか。
戦争だからというのは、単なる、言い訳に過ぎない。
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