Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 音楽は不思議な芸術 8<バッハとヘンデル3>

前の記事で、カストラートについて少し触れたが、この去勢された男性歌手について、やや詳しく述べてみたい。


ご存知の通り、男は思春期を迎えて声変わりをするが、カストラートという歌手は、この声変わりを人為的に抑えた超ハイ・テナーの歌手である。


声変わりをする前の少年は、女性のような声をしているが、そうした声変わりする前の美声を持つ少年の中から、将来、カストラートの歌手として成功しそうな少年を選んで、その少年の睾丸を取り、去勢してしまうのである。そうすると、その少年は声変わりをすることなく、女性のような美声を保ちながら、声量は成年男子の力強い歌声を持つという、スーパーな歌手に変ずるのである。


ただ、カストラートは睾丸を持たないために、SEXはできるが子どもは出来ないという事情があり、人権意識の高まりと共に、時代の風潮から、外れてしまった芸術の一つなのである。


ちなみに、このカストラートの圧倒的な美声を聞いて、当時、繊細な女性は、失神して倒れるということが盛んに起こり、そうした女性はとても、男性からもてたために、繊細でないような女性も、真似をして倒れるという小芝居が続発したそうである。


ともあれ、ヘンデルという音楽家は、そうしたカストラートが活躍するオペラを、多く手掛けた人なのである。


そうして、ここからは、わたしの勝手な想像になることを、ご承知の上で、読んで貰いたいのだが。


バッハはヘンデルに会いたかったことが分かっているが、そのバッハはヘンデルに次のようなことを、会って言いたかったのではないかと想像するのである。


「あなたのようなしっかりとした音楽が書ける音楽家が、カストラートなどの人為性の高い、際物染みた音楽に熱を上げていてはいけない。あなたの書いた『メサイア』や『水上の音楽』のような真っ当な音楽をもっと推し広げるべきだ。」というように、意見したかったのではないかと、想像するのである。


バッハの、大変な勤勉さと真面目一辺倒の頑固な性格を思うと、そういう想像が湧くのである。ちなみに、バッハはその大変な頑固さから、投獄の憂き目にさえ遭った音楽家である。


けれども、わたしはそのカストラートの音楽を聴いたことがない。映画になったのを少しばかり見た限りである。上記の記述は、あくまでもわたしの想像であることを、念を押して断っておきたい。


よく、ヘンデルの「メサイア」はバッハの「ロ短調ミサ」と比較されるようだが、わたしの聴いた限りでは、メサイアにはロ短調ミサのような深刻さはないようである。比較をするなら、むしろ、バッハの「クリスマス・オラトリオ」であろう。


わたしは、何も、ヘンデルを貶そうと企てているのではない。自分で聴いた感想を率直に語りたいのだ。


「メサイア」のあのハレルヤ合唱に代表される、「生ける喜び」は「クリスマス・オラトリオ」においては、その全編に、沸々と湧き上がってくる、生ける喜びとして現れてくる、この曲は、バッハの中では、あまり注目されていないようだが、生きる喜びを表現した音楽として、最上に属する音楽であると、わたしは思っている。カール・リヒターの名演がある。未聴の方は、ぜひご一聴を。