エッセイ きれぎれ草 36 <理と理念>
人は酒に酔うように、理に酔うものである。そうして、理に酔った者の始末に悪いのは、酒に酔った者より、酔っている自覚がないことである。
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現在、盛んに理念なるものが叫ばれている。その叫んでいる人の顔を、よく見てみれば良い。なんと、険しい表情をして、力み返っていることか。
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理の酔いから、覚める最上の仕方は、自分を取り戻すということである。
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理に酔うなら、まだ、病膏肓に達していない。だが、理念に酔うとなるともういけない。ことば自体に倫理性が、入り込んでいるからである。そうした人の幾人かは、おそろしく険しい顔をして、わたしは道徳的に正しいと、どこまでも、突っ走ることであろう。
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再度、言えば、そうした人たちは、自分を取り戻すに限る。失った自分を取り戻すには、理に使われるのではなく、理を使うことである。だが、これは、格別な修練を要することである。
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