Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 音楽は不思議な芸術 4<バッハ マタイ受難曲>

バッハのマタイ受難曲は、一般に、メンデルスゾーンの初演で、日の目を見た曲と言われている、バッハの真骨頂が発揮された曲として有名であるが、なるほど、世間的にはそう見て差し支えないかも知れないが、初演という歴史的事実については、わたしはその説に、いささかの違和感を持つ者である。


メンデルスゾーンの功績は功績として、バッハの音楽は、そうした偶然時を俟たずとも、ほとんど自力で歴史の荒波を掻い潜って、出現したことであろう。


ところで、マタイ初演であるが、バッハの第二の妻アンナは、「バッハの思い出」の中で、マタイ受難曲の初演を聴いたと、はっきりと書いている。


わたしに分からないのは、バッハの音楽などを研究する専門家たちの音楽をその専門家の手の中にだけ、保存しておこうという要らぬ優越意識である。


アンナのような、ほとんど音楽には素人の女に、どうしてバッハのような本物の音楽家の本当の価値が分かろうかという、学者の常見が透けて見えてくる。


アンナは、まず、バッハのオルガン演奏に惚れ込み、結婚を承諾した女性である。それに、アンナは、バッハのことを、当時の自分の国王より偉い人物だと本気で信じていたのは、「バッハの思い出」を読めば分かることである。


そうした女性の書くことに、何故また、疑いの目など端挟む余地などあろうか。証拠などどこにもないが、わたしはアンナが、マタイ受難曲の最初の理解者だと信じている者である。自分の夫だった男の本当の姿を知りたいという、健気な思いが、そうした初演を可能にしたと、なぜ、素直に思えないのだろうか。マタイ受難曲は、演奏時間が、三時間ほどにも及ぶ大曲だが、それでも、わたしはその演奏は、可能だったとみている。


むしろ、メンデルゾーンのロマン主義の時代、果たして初演で、マタイ受難曲が全曲演奏されたかどうか、わたしは疑問にさえ、思っている。ロマン主義の時代は、協奏曲や交響曲でも、一楽章が終わると、食事など休憩などして、ゆるゆると次の音楽を聞くという時代で、気に入った楽章だけを取り出して、演奏するのも日常茶飯事のことであった。メンデルスゾーンも、当時の観客の好みに合わせて、抜粋曲で済ませただろう事は、想像に難くない。


女性の感性を、侮るものではないのである。「バッハの思い出」の巻頭には、ある人の言ったことばとして「どうしたら、大海をコップ一杯の大きさで掬うことができるだろうか」という詰まらぬ意味の言葉が、載っている。心ひとつで、何が不可能であろうか。バッハも、同じ人間として、音楽を深く掘り下げてきた人ということで、間違いはないのである。


女性蔑視は、むしろ、西洋の方が念が入っているようである。


<続く>