Toshiのエッセイと詩とおすすめ本と絵などのブログ by車戸都志春

文芸を中心に、エッセイやおすすめ本の紹介文、人物画、写真、現代詩、俳句、短歌などを載せたブログ。by:車戸都志正

エッセイ 弘法大師の証明法 <詩に拠って>

司馬の「空海の風景」を読んでいたときに、面白い文章があった。弘法大師がある仏説を真理だと、証明するという件りがあって、司馬は、それを弘法大師独特の方法だと書いていたのだが、その方法とは、自分が書いた詩を引きあいに出し、こうした優れた詩を詠めるのは、拠って来たるその仏説が真である証拠だという証明の仕方なのである。


これは、司馬が言う、弘法大師独特の方法というよりも、およそ、ことばの上で真理を求めようとするなら、詩に拠る他はないという、至極単純な理由に基づくと、言った方が良かろうと思う。


詩を、単なる詩に過ぎないと侮る人が、躓きやすい事柄なのだが、詩は、およそどの世界でも通用するという普遍性を持っているもので、世界文学という言葉が、詩は、全世界的に通用するものだということをよくあらわしているものと言って良いであろう。


因みに、前にも書いたことだが、世界文学ということばはあるが、世界哲学ということばは、ないのである。無いのは道理で、世界中どこでも通用する知的文化というものはないからである。


詩に拠る真理、これは、どこまで人が真を深めたかによる問題であり、その証明は、美が一見、規範を持たないもののように見えながら、決してでたらめなものではないという理由に拠る、達意の人に委ねられた、確かな尺度なのである。


従って、詩を解しないという人は問題にさえならない、品格としての人間が問われる、詩たる真理の前で、屈服しなければならない、美による証明である。


これは、絶対の前に跪くような、敬虔さというものが人間になければ適わないことでもあろう。精神上の絶対というものは、あるという前提ではあるけれども、そうなのである。もし、悟りというものが、本当のものであるとしたならば、詩は、真理を証明し得るものと言って良いのであろう。